センスを磨く

まあそもそも、センスなんてものは、先天的に生まれ持ったものであろうが、後天的にも、養えないこともないと考えている。
どうすればいいか。
簡単なことで、センスのあるものに触れることだ。

センスのあるものに触れることで、そのセンスを吸収していく。
そういうことが無意識的にできるものだと思っている。

では、センスのあるものとは何か。
結局、触れる対象にセンスのあるものを選ばないと、センスは養えないということだ。

センスのあるものが分からない、ゆえにセンスが身に付かない。
悪循環である。
センスのある人に聞いてみるか。
センスのある人が分からないってか。
悪循環だ。

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センスのあるものっていうのは、他に代わりがないといえるだろう。
だからそれを基準にしてもいいかもな。

なんか、ぼんやりした話の内容になるだろう。
そう、それがセンスを語るということだ。

あと、触れている対象はセンスがありいいものの、センス評論家になってしまっている者もいる。
それはセンスを吸収できていない残念な例である。

そもそも、センスの良し悪しは、誰が判断するのだろう。
それは、センスのいい者だろう。
ではセンスのいい者は誰が判断するのだろう。
大衆だろう。
では、大衆が選んだセンスのいい者は、本当にセンスがいいのだろうか。
知らない。

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