よく、死ぬ時に後悔しない生き方をしたい、なんていう台詞を目にする。
まあそれはそれで結構なんだが、そんなに肩肘張らんでもよくない?と思ったりする。
だってさ、まず、死ぬまでに後どれだけあるのよ?
もしかすると早く死ぬかも知れないが、確率的にはまだまだ生きるはずである。
そんなに先のこと考えてどうすんの?
それで、既婚者が独身者によく言う台詞で、死ぬ時1人は寂しいよ?というものがある。
いやいや、だから何で死ぬ時に人生の標準を合わせているのさ?
そんなのわずかな間じゃないの?
もし死ぬのが苦しかったとしたら寂しいとか感じてる場合じゃないって。
老後に1人は寂しい?
いやいや、今は独身でも色んなコミュニケーション手段があるじゃん。
サークルでもオンラインでも。
また、1人で過ごすのだって好きな人もいる。
家庭持ってたってその中で息苦しさ、孤独を感じる人は一杯いるようである。
まあ日本の人口的には結婚して子供作った方がいいとは思うが。
少し話が横道に逸れた気がする。
いつものことだが。
それで、まあ、いつ死んでも悔いないように、なんて鬼気迫った表情で、意識高く生きていく必要もないと思うよ。
死ぬ時の後悔を恐れることなんてない。
それは、さっき言ったように、多分まだ生きるやろってのもあるんだが、そもそも死んだら、後悔も何も感じないじゃんってことを俺は思っている。
死後の世界は死んでみないと分からないが、例えば、寝ている状態が続くみたいなものだと仮定しよう。
寝ている時は夢を見ない限り、覚えていない。
いつの間にか朝である。
覚えていないのであれば、感覚はない。
よって後悔もないのである。
死ぬのは恐らくまだ大分先。
しかも死んだら後悔なんて感情は残らない。
ならば、なぜ死ぬ時に後悔したくないなんて思う必要があるだろう?
そんなことよりよ、今日だよ今日。
今日楽しく過ごす方が、はるかに大事なんでねえかい?
まあでもあれか、死ぬ時に後悔したくないっていうのは、動ける内に色々体験しときたいってニュアンスがあるんかな。
それに強迫観念が加わったような感じ。
強迫観念はいらんわな。
やりたきゃやればいいし、めんどくさかったらやらなくてもいい。
後悔ってさ、自分が選んだらない気がする。
人にやらされたら後悔するけど。
死ぬ時に標準合わせて途中で死んだら馬鹿らしいわな。
やっぱ今日だよ、今だよ。