日常

創作に必要なのは体験ではなくコンプレックス

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バトル漫画を描く作者が格闘家ばりに強いかと言えばそんなことはなく、むしろひ弱な印象を受ける。
恋愛漫画や小説の作者が恋多き人生を歩んできたかと言えば、むしろ縁遠き人生を歩んできたように見える。
冒険物の漫画や小説の作者が日々冒険しているかと言えば、そんなことしていたら書く暇はなく、部屋にこもって仕事していたりするものである。

何が言いたいかといえば、優れた作品を生み出すのに、体験は必ずしも必要ないということだ。

フィクションの作品というのは、いわば願望であり、こうだったらいいのにな、の結晶である。
そこで必要なのはこうだったらいいのにな、の空想力であり、実体験ではない。
むしろ体験が足を引っ張ることにさえなるのではなかろうか。

リアリティーを売りにするってんなら体験はあった方がいいかも知れない。
だが、そもそもフィクションでリアリティーを追求ってのは無理があるんだな。
正確に言えば、本当っぽい作り物だろう。
俺は、フィクションにリアリティーなど必要ないと考えている。

で、そもそも、こうだったらいいのにな、という空想力。
それがどこから来るかと言えばそりゃあ先天的なものもあろうが、それに加えて、コンプレックス(劣等感)というのが大きいんじゃないだろうか。

学生時代いじめられてた。
だから強さに憧れてバトル漫画を描いた。

今まで女として生きてきたがちやほやもされず王子様も現れなかった。
だから私の理想の王子様はこんな具合で、私の前に颯爽と運命的に(都合よく)現れて、という恋愛ストーリーを描くことができる。

俺は世界各国を冒険したいが、実際やるとなると怖いし、学校や仕事もある。
だから冒険に適した理想のキャラを作り、自分の代わりに漫画で冒険させることにした。

こういった具合である。
創作とは、コンプレックスが生み出すものだと思っている。




それで、これが逆に、リアルで強い格闘家が格闘漫画を描いたとしても、それほど面白くないと思う。
リアルでモテる男女が恋愛漫画を描いたとしても、それほど面白くないと思う。
リアルで冒険してきた冒険家が冒険漫画を描いたとしても、それほど面白くないと思う。

なぜなら、彼らは現実を知っているから、その描写は現実的すぎるのである。
そして現実とは、大半は退屈なものなのである。
さらに、彼らには渇きがない。
強さ、恋愛、冒険・・・。
渇きがないということは願望がなく、そこに読者を惹きつけるパワーはない。
コンプレックスというパワーは。
夢というパワーは。

現実世界でも、漫画のような人生を送ることは可能かも知れない。
だが、それは、ピラミッドの頂点の人間だ。
ジェフ・ベゾスやイーロン・マスクなら、世の中にある大抵のことはできる。
ロケットだって飛ばせる。
やりたい放題だ。
だが、それ以外の人間はそうはいかない。
日々制約のある中で、制約ある能力の中で、制約ある資金の中で、制約ある人間関係の中で、生きている。
それは、何かしらの願望、コンプレックスを持っているということになる。

リアルで夢を叶えるという超難易度の高いことに挑戦するのもいいが、コンプレックスをぶつけてフィクションを創作するという道を考えてみた方が、実は現実的なのではないだろうか、などと日々思っている。

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